転職に失敗して気づいたこと。そこから大学院へ進学した理由

なんとなく、社会人大学院生になった経緯なども、もう少し深ぼってみたいと思います。
こんな記事、誰のためになるのか?は疑問ですが、もし今後のキャリア形成で、誰かの参考になれば幸いです。

転職に失敗して、なぜか大学院へ

UnsplashSaulo Mohanaが撮影した写真

「えっ、大学院ですか?」
最近よく聞かれる質問です。40代で学び直しなんて、珍しいかもしれません。

実はこの選択のきっかけは、転職活動の失敗でした。
でも、結果としてその失敗が、今の学びや出会いに繋がっています。

今回は、そんな「大学院へ進学した理由」について、転職の挫折や心の揺れも含めて、リアルに綴ってみたいと思います。


🔥 最年少係長、その後はずっと“火消しPM”

20代後半で社内最年少の係長に昇進したときは、正直うれしかったです。(ここだけはちょっと自慢です)

ただ、その後のキャリアはというと…

📌 毎回炎上プロジェクトに投入される日々
火事場の最前線で立て直す。そんな役割をずっと任され続け、部署内でもすっかり“火消しPM”としてのイメージが定着していました。

「後輩は育ってきた。でも、自分の後任は育ててこなかった」

現場に出続けるうちに、社内の同期はどんどんキャリアアップ。
気づけば、自分は10年変わらぬポジションのままでした。


💼 閉塞感からの転職。でも、コンサル希望でつまずく

「このままでいいのか…?」
閉塞感を打破しようと、転職活動をスタート。PMやAI開発の経験があるし、どこかで勝てるだろうと甘く見ていました。

❌ でも、まさかの“コンサル希望”で失敗

開発職ではなく、リサーチャーやコンサルティング職に絞っていたのが敗因だったと思います。

「技術はあっても、コンサルをなめるな」
「40過ぎて、開発からいきなりコンサルは難しい」

そんな“無言の評価”を受けた気がします。
今考えれば、妥当な反応だったとも思います。


🧠 静かな時間、AI部門への異動。そして違和感

そんな折、AIアプリ開発のプロジェクトにアサイン。
さらに組織再編により、AI専門部門のマネージャーに抜擢されました。

ここで初めて、炎上の現場を離れ、研究職的な立ち位置に立つことに。

いきなり時間がゆっくり流れるようになった気がしました。
でもその“ゆるやかさ”が逆に、閉塞感を加速させていたのかもしれません。


👨‍🏫 大学教授との出会いが転機に

AIの社会実装を調査している中で、首都圏の大学で教鞭を取る教授と知り合うことになります。

技術ではなく、**社会課題にアプローチする方法論(デザイン思考など)**に強みを持った方でした。

その方が主催するセミナーやワークショップに参加し、「技術偏重だった自分の価値観」が崩れていくのを感じました。

💬 引用
「テクノロジーは、社会にとって目的じゃなくて手段なんです」
ー あるワークショップにて、その教授の言葉

この出会いをきっかけに、自分の中に「新しい学び」への欲求が芽生えていったように思います。


🔄 炎上PJが再来。「また戻るのか…」という葛藤

しばらくして、会社の新規事業で立ち上がったPJが炎上。
当然のように、PMのバトンが自分の元に回ってきました。

「またいつものポジションに戻るのか…」

かつてなら頼られる喜びも感じたはずなのに、そのときはどこか冷めている自分がいました。


🎓 そして大学院へ。「転職ではなく、別の道を選ぼう」

そんな時、あの教授から「大学院に来てみませんか?」と声をかけてもらいました。

迷いました。でも、転職で変えられなかったものが、学び直しによって変わるかもしれない。
そう信じて、進学を決意しました。


📚 社会人大学生になって気づいた“現実”

社会人をしながらの大学院生活は、正直めちゃくちゃ大変です。

📌 苦労したことTOP3

  • タイムマネジメント(仕事との両立)
  • 家族・同僚からの理解
  • モチベーション維持(思った以上に孤独)

でも、得られるものも多いです。

💡 例えばこんなこと

  • 同じ境遇の仲間たちとの出会い
  • 他業種のキャリア観に触れられる
  • 自分のキャリアを“俯瞰して見直す”時間ができる

✍ まとめ:失敗から始まった大学院生活。でも、ここから自分の未来が始まる

転職に失敗していなければ、大学院なんて考えなかったと思います。
でも、あの失敗があったからこそ、今があります。

「何者かになる」ことよりも、
「どう生きていくか」に目を向けたい。

そんな想いで、この2年間を過ごしていきたいと思っています。

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